御由緒(神社の歴史)

由緒年代は不詳であるが、境内の灯篭には嘉永や寛政の文字が見える。当初は阿武隈川の東(現在の福島市向瀬上町)の山麓に鎮座していたとされている。その昔、境内に柳の木が繁茂しており青柳の社と称されるようになる。御神託有りて現在の社地へ遷座。昭和8年に現在の社殿を造営。旧村社。

また、志田正徳(白淡)記した【信達一統志】内の天保12年(1841)にまとめた信夫群の記述の中に、「青柳社 産神 別當安性院」『海道の東に鎮座す大山津見命を祭り奉る者なり、むかしは大隈川の東に鎮座ありしが霊験の事ありて今世此地に移し奉る、今も川東に昔の社跡あり、3月15日祭禮なり8月10日神輿渡御』と記されており、天保12年には既に現在地に鎮座し、神輿も存在していたことが解る。

前述の【海道】とは奥州道中(奥州街道または陸羽街道)で現在の県道353号国見福島線であり、【大隈川】は現在の阿武隈川のことである。また天保12年以前に社地が川東にあったと推測できる。